サメと泳ぐ 観劇感想(盛大にネタバレ)

9月16日、兵庫県立芸術文化センターにて舞台「サメと泳ぐ」を観てまいりました。

 

私は普段、静かな演劇(いわゆるストレートプレイ)をほとんど観ません。踊ったり歌ったりのミュージカル、派手な演出が売りの歌舞伎やら新感線ばっかり観劇しておりますので、数年ぶりのどストレート演劇鑑賞に少々緊張して臨みました。

 

なんで普段あまり見ないジャンルに手を出したたかと言いますと、そりゃもうナマ田中圭を見たかったからという理由一択です。「おっさんずラブ」、最高でした。いわゆる「腐」の気はあまりない私でも、二人が結ばれるハッピーエンド、とっても幸せな気持ちで見ました。あのはるたんのくしゃくしゃの笑顔を、ムダに良い体を間近で見てみたい、それがチケットを買った理由です、はい。

 

 前置きが長くなりましたが、本題の「サメと泳ぐ」の感想です。

 

★終盤の展開について

いきなりですが二幕終盤のお話から。

それはそれは後味の悪ーいエンディングでした。

 

上司バディ(田中哲司)に散々パワハラの限りを尽くされ、挙句の果てに恋人ドーン(野波麻帆)と自分の男女の関係までをも仕事に利用されたと知ってブチ切れたガイ(田中圭)は、上司バディを監禁して銃を突き付け、拷問を始めます。

一幕で溜めたストレスをニ幕でスカっと発散!なのかと思いきや、全く違いました。

監禁されたバディは自分の身の上話を始めます。結婚してまもなく、妻を殺されてしまったこと。事件の夜、バディはボスに言い付けられた仕事が終わらず、家を空けていたこと、そしてそれを悔やんでいること。暴君バディもかつては自分と似たような境遇にあったのだと知り、ガイの心も少し動きます。

そして、監禁場所にバディを訪ねてきたのはなんとドーン。なぜこんな時間(夜中)にひとりでバディのもとへ?女の武器を使うため?それぞれの正当性と相手の悪口を捲し立てるバディとドーン、何が本当で何が嘘かが分からなくなり、混乱の極みのガイ。

 

最終的にガイが選んだのは…恨んでいるはずのバディと、自分の成功でした。

 

舞台では暗転中に銃声が響き、ガイがどちらを撃ったのかを直接見せませんでしたが、最終盤の会話でドーンを射殺したことが明らかにされておりました。

バディは「自分はドーンに監禁・拷問されていたが、後からやって来たガイが(正当防衛として)ドーンを撃ち殺した」というストーリーをでっち上げ、事件を揉み消したようです。

更に追い討ちをかけるように、殺されたはずのバディの妻から電話がかかってきます。妻が殺されたなんて話は嘘で、バディに愛想を尽かして出て行ってしまった、というのが真相のようです。

おもちゃのゼンマイを巻くガイ。ガイ自身もまた、ゼンマイを巻かれたおもちゃで、バディの手のひらの上でカタカタ音を立てて踊っていただけだったのでしょうか…

 

ガイが銃を手にバディ、ドーンと対峙していた場面、誰も殺さないという選択肢もあったはずです。でもそこで、有利に生き抜くためにガイがあえてドーンを殺してしまったことに私は大変ショックを受けました。えーん、辛すぎる。あんなに愛してたはずなのに。出世と愛とを天秤にかけたら、出世が圧勝するのが男性なんですかね。「集団の中で優位に立ちたい」という欲は、女には想像もつかないほど深く深く男性の中に根を下ろしているようですしね。

 

いや、男性みんながみんなガイと同じ行動をするわけではなく、ハリウッドという特殊な世界で生きているガイだからこそ取った行動だったの??人間のいちばん見たくないとこ見ちゃったよ、いやもう辛いなー、などとぐるぐる考えながら最寄り駅まで歩いておりましたところ、私の前を歩いていたカップルの男性のほうが

「そこまでして出世したいか?俺は嫌だ」

と女性に語りかけているのが聞こえ、

(うん、お兄さん、私もそう思うよ!あんた最高だ!お姉さん、その人しっかり捕まえときな!)と見ず知らずのカップルを勝手に心の中で応援しておりました。

 

帰宅してからも気持ちはしんどいままでしたが、買ってきたパンフレットを開き、役者さんそれぞれの「サメと泳ぐ」観をゆっくり読むことで、やっとちょっとこの劇を冷静に眺めることができるようになりました。

 

役者さんは皆ヒリヒリするような表現をされていて、とても良かったです。ナマ田中圭は言わずもがな、ナマ野波麻帆さんがセクシーで最高でした。